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スタッフ紹介

浦出 光男
現場監督浦出 光男
ニックネーム
みっちゃん
⽣年⽉⽇
昭和34年6⽉6⽇
⼲⽀
猪年
星座
ふたご座
⾎液型
B型
出⾝
室生寺近辺
⼊社年⽉⽇
昭和56年
所属部署・役職
建築部
資格・特技
一級土木施工管理技士、木造建築士、普通免許、他いっぱい
休みの⽇の過ごし⽅
ゴルフです、今は腰痛が酷くてお休み中です。
主なお仕事
棟梁です。水道や電気なども含め、現場の全ての管理・責任者をしています。自分で言うのも変ですが、棟梁が建設会社の社員なのは珍しいんです。

この会社に⼊社した理由は?

中学から住み込みで育ててもらいました。

1973年に先代の会長が、僕の実家の前に家を建てたんです。
その時に先代の会長がフェアレディという車に乗っていて、「大工さんってええ車乗れるんやー!」って驚きました。
それで建築に興味を持ち始めたんです(笑)。
中学生の時に、人に頼んで木村建設の現場に連れていってもらい、先代の会長と知り合いになって、木村建設に住み込みで働かせてもらう事になりました。

先代の会長夫妻、現会長夫妻にすごく良くしてもらって、家族と同じように接してもらいました。しばらくして住み込みの大工も2人増えたんですが、掃除や洗濯は奥さんがしてくれましたし、建築の学校にも通わせてもらいました。20歳の時に一人暮らしを始めるまでずっとお世話になってました。ありがたい話です。ということもあり、今の木村昌樹社長の事は生まれた時から知ってます(笑)。

1995年の阪神淡路大震災の後に、従来型の家づくりがめっきり減ったんです。木村建設もハウスメーカーの下請けを2年ほどしたのですが、利益率が低く厳しい状況が続きました。でもハウスメーカーの検査基準が厳しかったので、そういった意味ではすごく勉強にはなりましたね。無駄ではなかったです。

その後、自社オリジナルの家づくりをするようになり、時代も流れ、会長から社長へと代替わりもしました。これからもずっと木村建設の家づくりの責任者としてありつづけたいと思っています。

「この仕事をやってて良かった!」と思ったこと

弟子たちの成長を見守れた事が何より嬉しい。

家を建てさせていただいたお客様に、「あんたに建ててもろて良かったわ。自分が建てたんやから気軽に寄ってや。」と言われた時は嬉しかったですね。

あとは弟子達が食べていける様になるまでの成長を見守れた事が嬉しいですね。彼らも今や立派に手に職を持ち、家庭を作って子供も出来ました。

逆に⼤変だったことはなんですか?

面倒がるのはもったいない。

事前にお客様に説明して、納得して頂いた上で取り付けた棚があったんですが、お客様が現物をみた時に、「想像と違った!」と言われてしまった事があったんです。

何度もやり直しがあると、お客さまにもご迷惑をお掛けしてしまうので、その後はマニュアルを作って、最初の段階で徹底的に打ち合わせして貰うようにしました。
改善できる事があるのに、面倒がってやらないのはもったいない。面倒なのは最初だけで、慣れれば何てことないですし。

地域で「これだけは誰にも負けたくないこと」は何ですか?

「家を作るなら、その中で一番良い家を作ってやる」って気持ちで仕事してます。それに奈良では吉野材っていう良い材料を使ってる家が多いんで、お施主さんも昔から目が肥えてる人が多いです。
だからよその普通と、奈良の普通は全然違って、奈良の方がもっと要求が高くなります。そういう環境でお客様に鍛えて頂いたので、ありがたい事にどんな仕事でもできるようになりました。

今の若い人は仕事が自分に合わないからと、すぐに辞めてしまいますが、自分に合わせる様に周りを変えればいいと思います。

この会社で実現したい夢は何ですか?

管理では人は育たない。僕はお客様の家を
「自分の家」だと思って建てています。

これからの人材を育成して、技術を継いでもらいたいです。今の家づくりはスピード重視になってます、それに反対するつもりはないけど、時代が変わってどんな家づくりをしてても、お施主さんから「あの人に建ててもらってよかった」と言ってもらえるよう、心がけないといけません。

僕はお客様の家を「自分の家」だと思って建てています。工事中、もう少し上手くできたなと思う作業があったら、「ま、いいや」と諦めずに、その場でやり直す。

時代が変わっても、変わらない物があると思うんです。管理では人は育ちません。僕が先頭に立って、若い人たちに背中を見せたいんです。生涯現役でありたいですね。その結果として周りに人が集まってくれる様な人間になりたいと思ってます。